かべすのおしゃべり

歌舞伎を観たり歌舞伎の本を読んだり歌舞伎のこと考えたりのあれこれを書き残しておきたいなと思いました。

「菅原伝授手習鑑ー車引」六月大歌舞伎

先日、歌舞伎座にて六月大歌舞伎を第一部第二部第三部と続けて楽しんできましたので、その感想ほか忘れないうちにメモ書きです。

まずは第一部の「車引」から。

主な配役は以下のとおりでした。
梅王丸 巳之助
桜丸 壱太郎
杉王丸 男寅
藤原時平 猿之助
松王丸 松緑

演じているのはフレッシュな面々ですけれど、劇評家の方でしたら「規格正しい良い車引だ」と評されるんじゃないでしょうか、しっかりと伝統を受け継ぎ、かつ自分たちのものにしている、そんな印象の舞台でした、素晴らしい!

なんと言っても、自分的には巳之助さんの梅王丸が本当にカッコ良くて、惚れ惚れウットリと見入ってました。

時平を睨んでの見得が腰をグッと落として反り身で絵のように決まってるし、引っ込みの飛び六方も大きな振りと勢いで魅せるし、声の調子や台詞回しも時代ものの魅力たっぷりだし、本当に素晴らしかった!

そして壱太郎さんの桜丸も、柔らかみのある所作に聞かせる台詞回しで、とっても素敵でした。
草履を脱いで笠を取ったときに隈取がなくてちょっと意表つかれたんですけど、上方の型なんですね。

巳之助さんにしても壱太郎さんにしてもすごくイキイキしてると言うか、何かをつかんで「さらにさらに!」とグングン伸びている最中の人たちだけが発するオーラみたいなものが舞台を観ているこちらにまでガンガン伝わってくると言うか、惹きつけられて一瞬も目が離せませんでした。

巳之助さん壱太郎さんの素晴らしさに加えて、松緑さんの松王丸の元禄見得の立派さとか猿之助さんの時平の公家悪ぶりの大きさとか、これはもうそうあって当たり前と感じさせるくらい、言わずもがなと言ったところでしょうか。

同時代の歌舞伎を生で見ることの醍醐味や悦びに溢れた、素晴らしい舞台でした〜!

#歌舞伎座 #六月大歌舞伎 #菅原伝授手習鑑 #車引

「彦山権現誓助剣-毛谷村ー」国立劇場

昨日、国立劇場で第101回歌舞伎鑑賞教室「彦山権現誓助剣ー毛谷村ー」を観ての感想その他メモ書きです。

玉太郎さんの解説のあと休憩を挟んで、杉坂墓所と毛谷村六助住家の二場を一時間半ちょっとでサクッとといった感じなので、お子様や学生の方々も中弛みせずに楽しめるように配慮されてるんでしょうね。

自分が観た回は学生の団体もおらず、お子様もあまり見かけませんでしたので、「初めて歌舞伎観る人たちだったら、ここでどんな顔するんだろう?何を思うんだろう?」って、玉太郎さんの解説聴きながらそんなこと思いました。

主な配役は以下のとおりです。

毛谷村六助 又五郎
杣人斧右衛門 松江
微塵弾正実は京極内匠 歌昇
一味斎孫弥三松 小川綜真
一味斎後室お幸 吉弥
一味斎娘お園 孝太郎 

まずは、又五郎さん歌昇さん小川綜真くん、親子孫三代でのご出演とのことでおめでたいですね。
歌舞伎と芸が次の世代へ、そしてさらにその次へと受け継がれていくのを目にするのは、歌舞伎ファンとしても嬉しいですね。

配役的には又五郎さんの六助と孝太郎さんのお園は、顔合わせは初とのことですが、お二方とも何度も演じられてるお役ですので、やはり安定感が違うと言うんでしょうか、完全に「又五郎の六助」であり「孝太郎のお園」になってるよなぁと思いました。

加えて、六助が片足で立ったまま「これはしたり」と決まるところの筋力というか身体能力というか「又五郎さん、本当に凄いな〜!」と舌を巻いたり、お園の虚無僧姿での花道の出が女性の色気を感じさせつつスッキリした男性らしさもあってカッコよかったりで楽しみました。

カッコよさということで言うと、歌昇さんの弾正もカッコ良かったです。
あの、七三で袖を左右に返して決まるところとか、惚れ惚れしちゃいました。

配布されたパンフレットで孝太郎さんが「鑑賞教室では、歌舞伎を初めてご覧になる学生の方が多いので、少しでも興味を持って頂くため、台詞も聞き取りやすくするようにいつも心掛けています」とコメントされていますけど、そういった配慮のせいでしょうか、全体的に、丸本らしさをこってりとと言うよりは、サラサラっと観られるような芝居運びで、個人的には時間の短さも含めて正直「少し食べ足りないかな?」くらいにも思いましたが、逆にかえって、段取りや見どころを一つずつ順を追って確認できた、みたいな収穫もありました。

#歌舞伎 #国立劇場 #彦山権現誓助剣 #毛谷村

「劇評」第2号について

昨日、木挽堂書店さんで「劇評」の第2号を購入いたしました。

新連載や読者投稿ページもできて、ますます内容充実、読者としては嬉しい限りです。

今号もいろいろな方々の評を読み比べたり、自分自身の感想メモと比較してみたりして、大いに楽しみました。

この第2号を読んで考えさせられたことが二つほどあります。

まず一つは、神山彰氏が『「追悼」の流儀或は「時代の共感」』の中で書いていらっしゃる、劇評における批判の問題。

神山氏曰く

明治の団菊、その後の歌右衛門羽左衛門鴈治郎仁左衛門から菊吉に至るまで、多くの欠点や失敗経験を抱えており、それを巧みに冴えた筆で描くのが、評家や文筆家の力量だった。追悼文でさえ、そこを容赦なく指摘する事によってこそ、後世の我々も、実に正動感も肉感性もある存在として、その「名優の面影」を眼前にし、耳に聴くことができる気がする

〜が、現在は

メディアの質も役割も変り、劇団もファンもSNSで却って狭い世界のヤリトリになったから、往年の駘蕩として余裕のある気配は望めないのは十分承知している。

とのことで、読みながら「本当にそのとおりだよなぁ」って思いました。

実際、昔の劇評や評判記なんかを読んでいて、ある役者が批判されていたり、欠点を指摘されていたからって、「この役者はダメな役者だったんだな」とは思わないですし、その人をリアルな人物として身近に感じるのって、まさにそういう欠点の指摘や批判からだったりすること、多いですよね。

一方で現代において、(SNSにおける匿名の悪口は別にして)ネガティヴな評価や批判的なコメントをしにくい空気感が強くなってきているような実感はあって(「ポジティヴなコメントは表現者の役に立つがネガティヴなコメントは害にしかならない」とか、「ファンがいる場でわざわざ批判やネガティヴなコメントする必要あるんですか?」みたいな声、よく耳にしますもんね)、劇評に限らずあらゆる批評というものが成立しにくい時代なんだろうな〜と。

だからこそ、異なる視点からの多様な意見や批評が許容されている、この「劇評」という冊子がとてもありがたいな〜と、読者としては思います。

考えさせられたこのと二つ目は、犬丸治氏や大矢芳弘氏が指摘されていた、歌舞伎の短時間化の問題について。

これはコロナ下での三部制が直接の原因ではあるものの、両氏共に観客の生理や受容による影響も指摘されていますね。

自分自身はかつての昼の部夜の部の二部制のもとで、幕間にお弁当食べたりしながらの観劇体験として歌舞伎というものの味わいを覚えてきたタイプですので、昨今の短時間化上演に対して「なんだかせわしないな。。。」と感じることが少なくないのですが、周囲の人たちから「ドラマを一時間かけて見るの疲れる」とか「映画館で映画見ると倍速や飛ばし見ができないのがイヤ」みたいなことを耳にすることも最近増えていて、「自分の感想や意見は世間のそれとずれてきてるのかもしれない。。。」とも思います。

歌舞伎というものの中には、時代に合わせて変化してきた部分と変えずに守ってきた部分とがありますが、上演時間や筋運びのテンポはそのいずれなのか、そして仮に短時間上演が定着した時に守られるものと失われるものはそれぞれ何なのか。。。そんなことをぼんやりと考えたりしました。

#歌舞伎 #劇評

「若手歌舞伎」中村達史

中村達史さんの「若手歌舞伎」を読みました。

二〇十七年初版とありますので、出版から五年ほど経ちますか。

若手、と銘打ちながら当時からすでに重要な役どころを勤めていた方々はじめ、二〇二二年現在では中堅どころと呼んでさしつかえないような方々から伸び盛りの方々まで、今をときめく役者たちへの熱い想いと期待があふれんばかりの劇評役者評でした。

本書に描かれた役者たちの姿と、現在の彼らの舞台を重ねてみた時に、今も変わらぬ魅力だなと思えるところがたくさんある一方で、いやいやずいぶんと変わった、ずいぶんと進化飛躍したんだなあと思えるところもあり、五年と言う月日の持つ意味について考えさせられました。

一番それを感じさせられたのが、本書内で最も多くその名に触れられているんじゃなかろうかと思える吉右衛門が、今となってはもういないと言うことで、やはり五年は決して短い年月ではないなあと。。。

いろいろ考えさせられながら読み終えたそれらの劇評役者評と同じくらいに、本書で自分が「面白いな〜」と思ったのが、和角仁氏による跋文でして、中村達史さんが和角氏のもとに教導を乞いに訪ねてからの日々について

私は、まず中村君に、毎月、歌舞伎座の昼の部、夜の部をそれぞれ五回ずつ私と一緒に見ることを義務づけた。

そして

役柄によって定まっている〈手〉の置き方、〈煙管〉の持ち方、〈目線〉のあり方、それに〈着付〉〈履物〉〈歩行〉〈三段の昇降〉などという初歩的なものから、舞台上の役者の〈居所〉、〈台詞の活け殺し〉〈荒事風の発声〉〈竹本の力量〉〈型の種々相〉というやや高級な面に至るまで

を指導されたということです。

なるほど〜
プロの見る目というのは、こうやって出来上がっていくものなんですね。

そっかあ。。。
舞台を観ている間中いつだって「素敵!」「カッコいい!」と目をハートにしてそれだけで終わってしまうから、何十年と歌舞伎を観ていても、自分はいっこうに見巧者になれないんだな〜と。。。

#歌舞伎 #劇評 #若手歌舞伎

「市川團十郎代々」服部幸雄

海老蔵さんの十三代目團十郎襲名のニュース、まさに「待ってました!」って感じですよね。

十一月、十二月と襲名披露公演は二部制に戻っての実施とのことですし、もう今からとにかく楽しみです〜

ま、いろんなことありました。
そしていろんな意見もありそうです。
だけど「江戸の街に團十郎が帰ってくる!」そう思っただけで、この二年間のモヤモヤした気分も晴れると言いますか、何はともあれこれは一つのお祭りですから笑、「とにかくパーっと派手に陽気に騒ぎたい!!」
軽薄でC調でミーハーを自認しております自分のような輩はそのように思いますです、はい!

「二年前やる予定だった演目と変更するのかしら?」とか、「どうであれ、吉右衛門はそこにいないんだよな。。。」とか、一喜一憂、いろんな想いが自分の中にもありますが、とりあえずはこれからの半年ちょっと、「團十郎がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」なノリではしゃいでいこうと思ってます。

團十郎、待ってました!」な気分を自分の中で盛り上げていきたいので、これから半年、代々の團十郎に関わる本を集中的に読もうかな〜みたいな気分になってまして、まずは手近にあった服部幸雄氏の「市川團十郎代々」をパラパラと読み返してみました。

歴代十二人の團十郎それぞれが個性的で、一人一人の特長やキャラクター、オリジナリティについて、もっともっと勉強しなきゃなと思いましたが、と同時に、十二人とその歴史を貫いて今に至る、「團十郎」と言う名前が運んでくる共通したイメージ〜アイドルであり、「分身不動」であり、江戸の守護神であり、芝居の氏神であり〜の大きさ豊かさカッコよさについて、あらためて感じ入りました。

#歌舞伎 #市川團十郎 #十三代目

 

「九代目團十郎」渡辺保

久々だった團菊祭も昨日無事に千穐楽を迎え、自分も実際に舞台を観たり、いろいろな方々の劇評や感想を読んだりして、今月一月大いに楽しみました。

加えて、團菊祭に因んでということで、九代目や五代目六代目についての本などもあれこれ読み返したりしていて、そのうちの一冊として当然、渡辺保さんの「九代目團十郎」もあらためて読み直してました。

初読の時は、九代目の人となりや芸がどのようだったかを把握したくて、そこだけにフォーカスして読み進めちゃったのですが、今回あらためて読み直すにあたっては、九代目のことはある程度わかっているものとして、その他の記載に目配りしながら読めました。

今作、九代目の演目ごとに当時の新聞評を集め比較することで、九代目の芸がどのようだったかを浮き上がらせる構成となっていて、三木竹二、青々園、岡鬼太郎杉贋阿弥などなどの評が引かれています。

この数年の間でそれぞれの人の著作も読んだりしていたので、同じ九代目の同じ舞台を観てそれぞれの人が何を言っているか〜同じところを褒めていたり、違うポイントに着目していたり〜を読み比べられるのが楽しかったです。

加えて、九代目の芸や当時の舞台の様子を浮かび上がらせるために、それぞれの劇評のどんな部分を渡辺保さんがセレクトしたのかも面白かったです。

劇評のどういった記載が引かれているかを、ざっくり分類してみると、こんな感じでしょうか。

①記録
・型
・骨法
・台詞回し
・衣装とこしらえ
・舞台装置
②記憶
・同じ演目の昔の舞台について
・他の役者が演じた同じ演目、同じ役について
③批評、評価
・①についての批評、評価
・②と比較しての批評、評価
④感想

たまに、昔観劇した際の自分のノートやメモを見返したりすると、「すごく良かった!」とか「カッコ良かった!!」みたいなことしか書いてなくて、何が良かったのか、何がどうカッコ良かったのかなどなど、全く思い出せなくて「えーと。。。」ってなったりするんですけど、そっか〜、①〜③をちゃんと書き残してないからなんだなぁと、反省方々そう思いました。

#歌舞伎 #團菊祭 #九代目團十郎 #渡辺保

文楽「桂川連理柵」国立劇場

国立劇場5月の文楽公演を観て聴いての感想その他あれこれメモ書き、第三部の「桂川連理柵」について。

主な配役は下記のとおりです。
石部宿屋の段
 豊竹三輪太夫/野澤勝平
 ツレ 豊竹咲寿太夫/鶴澤清允
六角堂の段
 豊竹希太夫/竹澤團吾
帯屋の段
 前 豊竹呂勢太夫/鶴澤清治
 切 豊竹呂太夫/鶴澤清介
道行朧の桂川
 お半 豊竹睦太夫
 長右衛門 豊竹芳穂太夫
娘お半 豊松清十郎
帯屋長右衛門 吉田玉也
女房お絹 吉田勘彌
弟儀兵衛 吉田玉志
母おとせ 桐竹勘壽
親繁斎 吉田清五郎

とにもかくにも、帯屋の段が面白く、素晴らしかったです!

呂勢太夫さんも呂太夫さんも、それぞれにこってりとした味わい、豊かにたっぷりとした語りぶりで、「今、すごく浄瑠璃らしい浄瑠璃を聴いてるな〜」としみじみ感じさせられました。

清治さん清介さんの三味線も、前に出ず後ろに下がらずな距離感や、合わせようとしなくてもピタッとハマるあの感じが、本当に渋カッコよくて!

演者の素晴らしさに加えて、そもそも帯屋の段って、話の構成自体がよくできてますよね。

生真面目な中年男、貞淑なその妻、温厚な老父、意地悪なその後妻、性悪な連れ子、時に小狡いこともする阿呆な丁稚、おませだけど幼さ残した少女〜と、ヴァラエティに富んだ登場人物たちが一堂に会する面白さ。

悪だくみあり、チャリ場あり、クドキあり、愁嘆場ありと、観客を飽きさせない筋運び、話の展開。

語りを聴いて舞台を観ている間中、ずーっと面白さが続いてると言った感じです。

帯屋の他には、石部宿屋の段も面白いですね〜

こちらはお半長右衛門が過ちを犯すに至るプロセスとディテイルのリアルさ、「子どものことぢや、そんならここへ入つて寝や」から始まって「コリヤえならぬ音がする」に至る生々しさと淫靡な感じが、ゾクゾクするといいますか。

この段、咲寿太夫さんの高く張った声の艶っぽさも素敵でした。

自分、勘彌さんが遣う女性の色気にいつもグッときちゃうんですけど、今回もお絹という女性の、「私も女子の端ぢやもの」「悋気の仕様も満更知らぬでなけれども」〜の台詞じゃありませんが、貞節と分別の向こう側に時々女性らしさがフッと漂うあの感じにしびれました〜

#文楽 #国立劇場 #桂川連理柵