かべすのおしゃべり

歌舞伎を観たり歌舞伎の本を読んだり歌舞伎のこと考えたりのあれこれを書き残しておきたいなと思いました。

文楽「競伊勢物語」国立劇場

国立劇場5月の文楽公演を観て聴いての感想ほかあれこれメモ書き、第二部「競伊勢物語」について。

主な配役は下記のとおりです。
玉水渕の段
 口 豊竹亘太夫/鶴澤清丈
 奥 竹本織太夫/鶴澤清友
春日村の段
 中 竹本小住太夫/鶴澤清馗
 次 豊竹藤太夫/鶴澤藤蔵
 切 竹本千歳太夫/豊澤富助
娘信夫 吉田一輔
磯の上豆四郎 吉田簑紫郎
鉦の鐃八 吉田簑一郎
母小よし 吉田和生
紀有常 吉田玉男

「競伊勢物語」と言えばはったい茶ですけど、実際の舞台を観て聴いていても、やはりあのくだりのしんみりとした情愛溢れる小よしと有常の佇まいは、和生さん玉男さんの人形を介したやりとりも含めて、言葉に尽くし難い滋味深さがありますよね。

後半も有常と信夫の髪梳きとか、砧と琴の連れ弾きとか、小よしの慟哭とか、胸に迫るエモーショナルなシーンが多く、切を勤めた千歳太夫さんの熱演もあって、グッと来るなあと思いながら観つつ聴きつつしました。

〜なんですけれど、この段の最後の最後で突然奥から業平と井筒姫が出て来るのに、自分は少し「ん?」「え?」ってなっちゃいました笑

なんでこの二人ここにいるの?とか、小よしが二人を匿っていたの?とか、この二人は信夫と豆四郎が自分達の身代わりになるのを止めようとは思わなかったの?とか。。。

前に名作歌舞伎全集で読んだけど、そのあたりの説明ってあったっけ?と記憶があやふやでしたので「競伊勢物語」収録の第五巻を引っ張り出してきました。

う〜ん、ここに収録されている台本も玉水ヶ淵からで、業平と井筒姫がいつから何故に小よしの家にいたのかはわかりませんね。。。

5月公演パンフレットの児玉竜一さんの解説には「この家に匿われていた業平と井筒姫も転び出てきます。」と記載されていますので、おそらく小よしが匿っていたんでしょうかね。

同じく児玉竜一さんの解説に、歌舞伎では豆四郎と信夫の役者が二役替わることの説明があり、そもそもこの演目、歌舞伎から浄瑠璃になったとのことですので、「なんで?」みたいなことは何も考えずに二役の早替わりを楽しむべきものなのかも知れません笑

面白かったのが、「名作歌舞伎全集」の戸板康二さんの解説に、「若く美しい相愛の男女が、課せられた至上命令のために、あえなく命をすてる筋は、あきらかに四年前の『妹背山婦女庭訓』三段目の影響を受けているように思われる。つまり山の段の妹山と背山の悲劇を、この作は、一つ棟の下に集めて演じるのである。」とあって、「なるほど、言われてみればそうだよなぁ」と思ったり、逆に、ドラマトゥルギーを視覚的空間的に配した山の段の素晴らしさを再確認したりしました。

#文楽 #国立劇場 #競伊勢物語

文楽「義経千本桜」国立劇場

昨日、国立劇場で五月の文楽公演、第一部/第二部/第三部とまとめて観てきました。

舞台観ながら感じたことや考えたことなどなど、忘れないうちにメモ書きしておこうかな〜と。

まずは第一部の「義経千本桜」について。
ちなみに昨日5/22は満員御礼でした。

今回の上演は、狐忠信に関わる段を中心に並べたという感じでしょうか。

主な配役は下記のとおりです。
伏見稲荷の段
 豊竹靖太夫/鶴澤清志郎
道行初音旅
 静御前 竹本錣太夫/竹澤宗助
 狐忠信 竹本織太夫/野澤勝平
河面判官館の段
 中 豊竹呂勢大夫/野澤錦糸
 切 豊竹咲太夫休演、竹本織太夫代演/鶴澤燕三
九郎判官義経 吉田玉助
静御前 吉田簑二郎
忠信実は源九郎狐 桐竹勘十郎

今回の公演、「文楽命名百五十年」と合わせて「豊竹咲太夫文化功労者顕彰記念」と銘打たれているのですが、その咲太夫さんが体調不良で休演。
とても残念ではあるものの、代演を勤められた織太夫さんの熱演〜迫力や力強さで押すだけではなく、時になめらかにスムーズに運ぶ緩急自在さを味わい、燕三さんとの掛け合いぶりを楽しみ、といった具合に堪能いたしました。

今回の四の切、なんと言っても圧倒されたのが、源九郎狐を遣う勘十郎さんでした。

舞台を縦横に駆け巡る白い狐、勘十郎さんご自身も狐火を散らした白い衣装からの早替わり、ケレンの連打、そしてあの幕切れでの宙乗り

この宙乗り、ただ派手な演出で耳目を驚かすといった体ではなくて、最後に法眼館も桜の木々もグーっと沈んでいく上を狐忠信と勘十郎さんがどんどん空へ空へと登っていくことで自分たち観客も、義経たちの人間ドラマを高いところから見下ろすパースペクティブを与えられる、その結果、人間や獣の業や因果を超えたもっと大きな何かを感じられる、そんな観劇体験でした。

幕が引かれた後もしばらく拍手が鳴り止みませんでしたし、拍手しながら自分もちょっとグッとくるものがありました。

#国立劇場 #文楽 #人形浄瑠璃 #義経千本桜

「市原野のだんまり」五月大歌舞伎團菊祭

五月の歌舞伎座第三部で観た「市原野のだんまり」についてのあれこれメモ書きです。

配役は以下のとおりでした。
平井保昌 梅玉

鬼童丸 莟玉
袴垂保輔 隼人

だんまり、良いですよね〜。

以前、小西康陽さんが名画座について語っている中で、いい男やいい女の顔をこんなに舐めるように眺めていられるのは映画くらいだというような趣旨のことをおっしゃられているのを目にしましたが(もしかしたら小林信彦あたりの言葉の引用だったかもしれませんが)、だんまりにも同じような楽しみや歓びがありますよね。

そういう意味では、この「市原野のだんまり」も、梅玉さんはすらっとした公卿姿が本当にお似合いだなあとか、隼人さんの袴垂は強盗にはもったいないくらいの男ぶりだなあとか、莟玉さんは若衆姿もかわいらしいなあとか、三者三様のいい男ぶりをそれこそ舐めるように堪能しました〜!

〜で終わっても良いんですけど、このだんまり、観終えて「ん?」「で?」ってなりません?

これ、結局どう言う話なんだろう?みたいな。

いや、ストーリーを追う演目でないとは自分も思ってますし、今昔物語の袴垂保輔と平井保昌の話をベースにしてて云々も知ってはいるんですけれど。。。

今昔物語の場合は大強盗の袴垂にあとつけられてても臆せず笛を吹いている平井保昌の只者じゃなさとそれに感服した袴垂、みたいなエピソード性がありますけど、このだんまりでは袴垂は平井保昌にあっさり斬ってかかってあっさりかわされちゃうちゃうんですよね笑
で、さらには何故か牛の皮を被っている鬼童丸も何故か平井保昌を襲おうとしてて、三人闇夜でお互いを探りあってるって、この人たち何やってるんだろう。。。?って思いますよね笑

この演目って、もともとこういう話なのかしら?それとも話を短く端折ってこうなってるのかしら?と思って、「名作歌舞伎全集」の第十九巻、舞踊劇集を開いてみますとー

あ、ここに収録されてる台本では、袴垂と平井保昌の二人しか出て来ないんですね。そして袴垂が平井保昌に斬ってかかって、「両人立廻りよろしくあって、よき見得、三重、カケリにて、幕」って、やはりこれだけなんですね笑

郡司正勝氏の解説によると、「名作歌舞伎全集」に収録されているのは明治十六年四月新富座で上演の「柳桜東錦絵」の上の台本であり、狂言作者は黙阿弥がスケ、配役は平井保昌が九代目、袴垂が芝翫芳年の三枚続の錦絵に趣向を借りた所作事である、と。

で、それより前に、文久三年八月の守田座で「当稲俄姿画(わせおくてにわかのえすがた)」の名題で上演されていて、作詞が三代目治助、配役は頼光が芝翫、袴垂が市蔵、小蝶の前が粂三郎で牛の皮を着た四天姿の粂三郎の姿が描かれている〜とあって、小蝶の前なる女性は何がどうなって四天姿でしかも牛の皮被ってるのかとか全く状況理解できてませんけど笑、ここで牛の皮が出てくるんですね、なるほど。

そして平井保昌ではなくて源頼光なんですね。

ちなみに、全集付録の三津五郎の月報は「舞踊劇アラカルト」の題で、第十九巻収録の舞踊劇〜「身替りお俊」「関の扉」「戻り駕」「六歌仙」などなどなどについて、自身の思い出交えながらの芸談あれこれ語っていて相変わらずの面白さなんですけど、「市原野」については「これは踊りかしら?」の一言しか書いてなくて、それもなんだか可笑しいです。

黙阿弥の名前があったので、演劇博物館の「没後百年 河竹黙阿弥ー人と作品ー」で番付年表見てみますと、明治十六年の四月新富座は「市原野のだんまり」を含む「柳桜東錦絵」のほかには「石魂録春高麗菊」「金看板侠客本店」「茨木」「意駒異見諷」とありますね。

当時の人々はこのだんまりをどのように観たのだろうと思って、国立劇場の「六二連 俳優評判記」(中)の俳優評判記第二十編で新富座四月を見てみると、芝翫のところには「大切市原野だんまりに袴垂保輔役只訳も無役なれど何となふ立派にて請升た拵へも通常にて吉」、九代目のところでは芳年の錦絵について触れた後「拵えは画様を模して申分なし」とのことで、当時も今と変わらず、衣装や造りの仕上がりを楽しんでいたようですね。

#歌舞伎 #歌舞伎座 #團菊祭 #市原野 #だんまり #名作歌舞伎全集 #六二連 #河竹黙阿弥

「土蜘」五月大歌舞伎團菊祭

五月の歌舞伎座、舞台を観て感じたことその他あれこれメモ書き、第二部の「土蜘」についてです。

配役は以下のとおりでした。

叡山の僧智籌実は土蜘の精 菊之助
侍女胡蝶 時蔵
渡辺綱 歌昇
坂田金時 種之助
平井保昌 又五郎
番卒太郎 権十郎
番卒次郎 錦之助
番卒藤内 萬太郎
巫女榊 梅枝
源頼光 菊五郎

言わずもがなですけど、菊之助さんの智籌、よかったですよね〜

出で、気がつくと花道の薄暗がりにフッと居るあの感じの薄気味悪さも素晴らしかったですけど、加えて、あのねっとりと絡みつくような気配と言うか佇まいに、本当にゾクゾクさせられました。

出の薄気味悪さだけじゃなくて、今回の菊之助さん、発している妖気と言うか怪しい気迫みたいなものが尋常じゃなくて、畜生口の見得や花道七三でのうずくまった蜘蛛の形とかはもちろんのこと、頼光を見据えて離さない視線やら「ささがにの」の響きの中にさえ、じっとりと重たい瘴気を含んでいるような、そんな気になりました。

菊之助さん以外の方々も芸達者な方揃いとでも言うんでしょうか、さすがは菊五郎劇団!といったチームワークで魅せますね。

中でも自分的には、時蔵さんの胡蝶に感心させられことしきりでして、立ち居振る舞いのスムーズさとか、舞の際のあの体幹のブレなさとか、いつ見ても「スゴいな〜」って感じなんですが、今回も振りの美しさと曲の面白さが一体となった見せ場、本当に堪能いたしました。

そして、間狂言での番卒と榊の件の面白さ!
権十郎さんと錦之助さんの絡みの面白さ、梅枝さんの踊りのさりげないけど崩れてない感じ、萬太郎さんの笑顔と溢れ出るご機嫌さ、ここはまさに芸達者が揃っているがゆえの楽しさおもしろさですね。

四天王と平井保昌の土蜘退治のくだりも迫力満点で、見入っているうちにあれよあれよと時間が過ぎてしまいました。

第二部は海老蔵さんの「暫」に続けて、この「土蜘」、観終えて席を立つ時に「團菊祭が戻ってきたんだなあ」としみじみ思いました。

#歌舞伎 #歌舞伎座 #團菊祭 #土蜘 

「あやめ浴衣」五月大歌舞伎團菊祭

五月の歌舞伎座で観た演目のあれこれメモ書き、第一部の「あやめ浴衣」について。

配役は以下のとおりでした。

芸者 魁春
船頭 鷹之資
水売り 歌之助
町娘 玉太郎
あやめ売り 新悟

第一部はこの「あやめ浴衣」の前が「金閣寺」で、筋書きにも「時代物の『金閣寺』をたっぷり楽しんだ後に、デザート味わうように楽しんでほしい」という趣旨の魁春さんの言葉がありますけれども、季節感あふれる唄と衣装に、水辺のあやめが目にも涼しげなセット、そしてベテラン若手いずれも魅力的な出演陣で、自分が甘いもの好きデザート好きだからというわけではありませんが、この「あやめ浴衣」、何度も、そしていつまでも味わっていたいと思わせる、そんな味わい深い一品でした。

なんと言ってもその魁春さんの芸者姿、粋筋の姐さんの婀娜っぽさが滲み出てて本当にカッコいい!

白地に柳の葉と飛燕を散らした衣装に白と赤の太縞の帯も、意匠が凝らされているのにスッキリとして涼しげで素敵でした。

自分、魁春さんの舞台はいつでも、役の性根を丁寧に掬い取られていることや、歌右衛門さまのお姿が二重写しにいつもそこに感じられることにまずは感動させられるのですけれども、その感動の合間のふとした折に、あの肩の薄さや襟元首筋の細さ儚さに目が行くたびに、愛しさというか切なさというか何かそういった想いが溢れて、胸がキュンと締め付けられてしまいます。

〜と自分で書いてて思ったんですけど、言ってることが恋してる人みたいで、なんだかおかしいですね笑

恋してるみたいという話で言いますともう一つ、自分、鷹之資さんの船頭にもハートを持っていかれてしまいまして。。。

あの浴衣の少しくだけた着方といい体の線と動きといい、「笑みを浮かべた」と言うよりはもっと親しみがあって、何なら「少しにやけた」とでも言いたくなる表情といい、まさに街の兄ちゃんといった風情が、愛嬌と色気も感じさせて素敵でした。

今回の船頭だけでなく、二月の「石橋」も十月の「太刀盗人」もそうでしたけれど、いつの頃からでしたか気がつくと自分、鷹之資さんが踊っていると、踊りのキレの良さや芯のブレなさ、勢い、体のライン、そして何よりも「踊っていて楽しい!」というオーラというかヴァイブスというか、そういったものに目を奪われて、ずーっと目が追ってしまう、目が離せなくなる、そんな状態になってしまいます。

あ〜。。。

もう若くもないおっさんのラブレターなんぞ机の引き出しに鍵かけてしまっとけと自分でも思いますし、夜中に書いたラブレターは出しちゃいけないとも言われますけど、よくよく考えてみたら、書き残すべき歌舞伎の知識や、記録として伝え残すべき歌舞伎の歴史や経験があるわけでもないのに、それでも歌舞伎のことあれこれ話したい書きたいと思うのなら、そこには歌舞伎というものへの愛しかないわけで、そもそもこのブログ自体が歌舞伎へのラブレターなんだったと思い直して、今回のこの落書きも読み返す前に投函しちゃいます!

#歌舞伎 #歌舞伎座 #團菊祭 #あやめ浴衣

「祇園祭礼信仰記 金閣寺」五月大歌舞伎團菊祭

五月の歌舞伎座で観た演目について、感想やら考えたことやらを忘れないうちにメモしてますが、今日は第一部の金閣寺について。

配役は下記のとおりです。
松永大膳 松緑
此下東吉後に真柴久吉 愛之助
十河軍平実は佐藤正清 坂東亀蔵
大膳弟松永鬼藤太 左近
慶寿院尼 福助
雪姫 雀右衛門

松緑愛之助、そして雀右衛門、いずれも仁に違わぬ役柄ですし、「これはもう何も言わずに、神話のような神秘をたたえたドラマと、桜の花降りしきる金閣寺の美しさをただただ楽しんで、ひとときの夢に酔うことになるんだろうな」という予感で観始めました。

ところが舞台の半ばくらいから、いつもの金閣寺とは少し違ったニュアンスに、夢やら酔いやらはどこかに行っちゃって、「え?」「おお!」「へえ〜!」と新鮮な驚きを感じて観てました。

というのも、今回の雀右衛門さんの雪姫が、過去に演じられた時や他の方が演じた雪姫と比べて、すごく直情的に見えると言いますか、印象としては「桜の花びらを蹴りたて撒き散らしながら突っ走る」、そんなお姫様に自分には見えたからです。

まあ、もともと雪姫自体が、松永大膳に斬りかかったり、倶利伽羅丸抱えて夫の元に駆けつけたりと、かなり大胆で行動的な女性ですけれども、今回の雀右衛門さんの雪姫はそういう人物造形に加えて、所作というか体の動き自体も、それこそ桜の花をバッサバッサと蹴りたてて、前のめりでグイグイ突き進んでゆく、そんな風に見えました。

お恥ずかしい話なんですが、自分、高校生の頃から歌舞伎を観るようになって、かれこれ三十年以上経つというのに、歌舞伎に詳しい方々のように所作のひとつひとつを型に照らして分析的に捉えるということができないので、バッサバッサだのグイグイだのこどもみたいな物言いしか出来ないうえに、その印象もただの勘違いかもしれないんですけれど。。。

なので、昨日今日と先代の金閣寺のDVDを何度か見返してみました。

そうすると、やっぱりちょっと違うんですよね、今回の雪姫と。

うまく説明できないんですけど、先代の雪姫が腰を落として首を前に出し、手先や爪先を内に内にと返してる間に、当代の今回の雪姫はザッザッと真っ直ぐ前に一歩か二歩前に進んでるとでも言いますか、そんな違いがある印象なんです。

歌舞伎の女形としての良し悪しという話もあるのでしょうけれど、自分には「今回の雪姫はそういう女性なんだな」と思えました。

女形としての所作と縄の縛めのエロティシズムを感じさせるより、サバサバとした動きで危機に立ち向かっていく雪姫〜なんかちょっと新しいなって思いました。

#歌舞伎 #歌舞伎座 #團菊祭 #祇園祭礼信仰記 #金閣寺 #雀右衛門 

「名作歌舞伎全集」第十一巻で弁天小僧を読んで

五月團菊祭で観た舞台の感想や興奮をメモしておこうと思い、昨晩右近さんの弁天小僧の素晴らしさについて書いてみて、さて次〜と思ってるんですが、手元にあった「名作歌舞伎全集」の第十一巻で青砥稿花紅彩画のあたりをなんとなく開いたたら、先日の舞台の様子が思い出されて、ついつい読み返しちゃっているところです。

この十一巻は黙阿弥特集二と題されていて、縮屋新助、弁天小僧、御所の五郎蔵、髪結新三、河内山が収録されています。

今巻の各話の解説は河竹登志夫氏で、弁天小僧についての解説も、五代目菊五郎自伝を引いての、例の有名な弁天小僧成り立ちのエピソードから、浜松屋幕開きの店先のごたごたした描写が風俗史としても面白いとか番頭はじめ店の者や仕出などがうまくないと味わいが半減すると言った指摘まで、短い中に教えられることがたくさん詰まった文章です。

なかでも自分が面白いなと思ったのが、河竹登志夫氏はこの青砥稿花紅彩画を「様式美一点張りで、それだけ白浪といっても義賊めいて底が浅く、ドラマとしての深刻さや生世話の迫真力に欠ける」としたうえで、その作風を「明治の社会・文教政策」によって「明治期の世話物が幕末のものにくらべてきれいごとで様式化の傾向を強め」たことのほかにも、「五代目菊五郎の華やかでぱっと明るい様式美の体質・芸風にもよるのである」と指摘しているところです。

これって逆に言ったら、弁天小僧を演じる役者はその体質と芸風で、底が浅いドラマを様式美一点張りで成り立たせなきゃいけない、ということですよね?

弁天小僧を演じるということの意味や重さにあらためて圧倒されました。。。

この「名作歌舞伎全集」は各巻に付けられた月報の、八代目三津五郎芸談も毎号とても面白く勉強になるものばかりで、今号の青砥稿花紅彩画について触れている箇所も「なるほど〜」がてんこ盛り。

その中で自分が特に興味を惹かれたのが、セリフの内容やセリフ廻しについて三津五郎が次のように言っているところです。

まずはセリフとその内容について、「小耳に聞いた小父さんの」のセリフは演じる役者によっては「小耳に聞いた父っつぁんの」となり、「時が移るとセリフも意味も変わ」るとし、「後になったらなんと言いますか、又その時分にはその時分の言い方が出来てくるでしょう。それが歌舞伎というものです。歌舞伎のセリフの内容と、浄瑠璃の言葉の内容とは、たいへんちがう」と語っている点。

一方でセリフ廻しについては、ツラネの特別なアクセントと聞かせゼリフの違いなど説明したうえで、「ですから私達は子供の時から、これは誰々のセリフ廻しだよと、二百年も前の役者のセリフ廻しを聞かされたものです」と。

セリフの内容やセリフそれ自体は時代に応じて変わっていく。一方でセリフ廻しという様式自体は二百年でも変えずに伝えるー

なるほど〜!

いや、歌舞伎って本当に面白いですね。

#歌舞伎 #河竹黙阿弥 #弁天小僧 #三津五郎