かべすのおしゃべり

歌舞伎を観たり歌舞伎の本を読んだり歌舞伎のこと考えたりのあれこれを書き残しておきたいなと思いました。

「名作歌舞伎全集」第十一巻で弁天小僧を読んで

五月團菊祭で観た舞台の感想や興奮をメモしておこうと思い、昨晩右近さんの弁天小僧の素晴らしさについて書いてみて、さて次〜と思ってるんですが、手元にあった「名作歌舞伎全集」の第十一巻で青砥稿花紅彩画のあたりをなんとなく開いたたら、先日の舞台の様子が思い出されて、ついつい読み返しちゃっているところです。

この十一巻は黙阿弥特集二と題されていて、縮屋新助、弁天小僧、御所の五郎蔵、髪結新三、河内山が収録されています。

今巻の各話の解説は河竹登志夫氏で、弁天小僧についての解説も、五代目菊五郎自伝を引いての、例の有名な弁天小僧成り立ちのエピソードから、浜松屋幕開きの店先のごたごたした描写が風俗史としても面白いとか番頭はじめ店の者や仕出などがうまくないと味わいが半減すると言った指摘まで、短い中に教えられることがたくさん詰まった文章です。

なかでも自分が面白いなと思ったのが、河竹登志夫氏はこの青砥稿花紅彩画を「様式美一点張りで、それだけ白浪といっても義賊めいて底が浅く、ドラマとしての深刻さや生世話の迫真力に欠ける」としたうえで、その作風を「明治の社会・文教政策」によって「明治期の世話物が幕末のものにくらべてきれいごとで様式化の傾向を強め」たことのほかにも、「五代目菊五郎の華やかでぱっと明るい様式美の体質・芸風にもよるのである」と指摘しているところです。

これって逆に言ったら、弁天小僧を演じる役者はその体質と芸風で、底が浅いドラマを様式美一点張りで成り立たせなきゃいけない、ということですよね?

弁天小僧を演じるということの意味や重さにあらためて圧倒されました。。。

この「名作歌舞伎全集」は各巻に付けられた月報の、八代目三津五郎芸談も毎号とても面白く勉強になるものばかりで、今号の青砥稿花紅彩画について触れている箇所も「なるほど〜」がてんこ盛り。

その中で自分が特に興味を惹かれたのが、セリフの内容やセリフ廻しについて三津五郎が次のように言っているところです。

まずはセリフとその内容について、「小耳に聞いた小父さんの」のセリフは演じる役者によっては「小耳に聞いた父っつぁんの」となり、「時が移るとセリフも意味も変わ」るとし、「後になったらなんと言いますか、又その時分にはその時分の言い方が出来てくるでしょう。それが歌舞伎というものです。歌舞伎のセリフの内容と、浄瑠璃の言葉の内容とは、たいへんちがう」と語っている点。

一方でセリフ廻しについては、ツラネの特別なアクセントと聞かせゼリフの違いなど説明したうえで、「ですから私達は子供の時から、これは誰々のセリフ廻しだよと、二百年も前の役者のセリフ廻しを聞かされたものです」と。

セリフの内容やセリフそれ自体は時代に応じて変わっていく。一方でセリフ廻しという様式自体は二百年でも変えずに伝えるー

なるほど〜!

いや、歌舞伎って本当に面白いですね。

#歌舞伎 #河竹黙阿弥 #弁天小僧 #三津五郎