「祇園祭礼信仰記 金閣寺」五月大歌舞伎團菊祭
五月の歌舞伎座で観た演目について、感想やら考えたことやらを忘れないうちにメモしてますが、今日は第一部の金閣寺について。
配役は下記のとおりです。
松永大膳 松緑
此下東吉後に真柴久吉 愛之助
十河軍平実は佐藤正清 坂東亀蔵
大膳弟松永鬼藤太 左近
慶寿院尼 福助
雪姫 雀右衛門
松緑、愛之助、そして雀右衛門、いずれも仁に違わぬ役柄ですし、「これはもう何も言わずに、神話のような神秘をたたえたドラマと、桜の花降りしきる金閣寺の美しさをただただ楽しんで、ひとときの夢に酔うことになるんだろうな」という予感で観始めました。
ところが舞台の半ばくらいから、いつもの金閣寺とは少し違ったニュアンスに、夢やら酔いやらはどこかに行っちゃって、「え?」「おお!」「へえ〜!」と新鮮な驚きを感じて観てました。
というのも、今回の雀右衛門さんの雪姫が、過去に演じられた時や他の方が演じた雪姫と比べて、すごく直情的に見えると言いますか、印象としては「桜の花びらを蹴りたて撒き散らしながら突っ走る」、そんなお姫様に自分には見えたからです。
まあ、もともと雪姫自体が、松永大膳に斬りかかったり、倶利伽羅丸抱えて夫の元に駆けつけたりと、かなり大胆で行動的な女性ですけれども、今回の雀右衛門さんの雪姫はそういう人物造形に加えて、所作というか体の動き自体も、それこそ桜の花をバッサバッサと蹴りたてて、前のめりでグイグイ突き進んでゆく、そんな風に見えました。
お恥ずかしい話なんですが、自分、高校生の頃から歌舞伎を観るようになって、かれこれ三十年以上経つというのに、歌舞伎に詳しい方々のように所作のひとつひとつを型に照らして分析的に捉えるということができないので、バッサバッサだのグイグイだのこどもみたいな物言いしか出来ないうえに、その印象もただの勘違いかもしれないんですけれど。。。
なので、昨日今日と先代の金閣寺のDVDを何度か見返してみました。
そうすると、やっぱりちょっと違うんですよね、今回の雪姫と。
うまく説明できないんですけど、先代の雪姫が腰を落として首を前に出し、手先や爪先を内に内にと返してる間に、当代の今回の雪姫はザッザッと真っ直ぐ前に一歩か二歩前に進んでるとでも言いますか、そんな違いがある印象なんです。
歌舞伎の女形としての良し悪しという話もあるのでしょうけれど、自分には「今回の雪姫はそういう女性なんだな」と思えました。
女形としての所作と縄の縛めのエロティシズムを感じさせるより、サバサバとした動きで危機に立ち向かっていく雪姫〜なんかちょっと新しいなって思いました。