かべすのおしゃべり

歌舞伎を観たり歌舞伎の本を読んだり歌舞伎のこと考えたりのあれこれを書き残しておきたいなと思いました。

「市原野のだんまり」五月大歌舞伎團菊祭

五月の歌舞伎座第三部で観た「市原野のだんまり」についてのあれこれメモ書きです。

配役は以下のとおりでした。
平井保昌 梅玉

鬼童丸 莟玉
袴垂保輔 隼人

だんまり、良いですよね〜。

以前、小西康陽さんが名画座について語っている中で、いい男やいい女の顔をこんなに舐めるように眺めていられるのは映画くらいだというような趣旨のことをおっしゃられているのを目にしましたが(もしかしたら小林信彦あたりの言葉の引用だったかもしれませんが)、だんまりにも同じような楽しみや歓びがありますよね。

そういう意味では、この「市原野のだんまり」も、梅玉さんはすらっとした公卿姿が本当にお似合いだなあとか、隼人さんの袴垂は強盗にはもったいないくらいの男ぶりだなあとか、莟玉さんは若衆姿もかわいらしいなあとか、三者三様のいい男ぶりをそれこそ舐めるように堪能しました〜!

〜で終わっても良いんですけど、このだんまり、観終えて「ん?」「で?」ってなりません?

これ、結局どう言う話なんだろう?みたいな。

いや、ストーリーを追う演目でないとは自分も思ってますし、今昔物語の袴垂保輔と平井保昌の話をベースにしてて云々も知ってはいるんですけれど。。。

今昔物語の場合は大強盗の袴垂にあとつけられてても臆せず笛を吹いている平井保昌の只者じゃなさとそれに感服した袴垂、みたいなエピソード性がありますけど、このだんまりでは袴垂は平井保昌にあっさり斬ってかかってあっさりかわされちゃうちゃうんですよね笑
で、さらには何故か牛の皮を被っている鬼童丸も何故か平井保昌を襲おうとしてて、三人闇夜でお互いを探りあってるって、この人たち何やってるんだろう。。。?って思いますよね笑

この演目って、もともとこういう話なのかしら?それとも話を短く端折ってこうなってるのかしら?と思って、「名作歌舞伎全集」の第十九巻、舞踊劇集を開いてみますとー

あ、ここに収録されてる台本では、袴垂と平井保昌の二人しか出て来ないんですね。そして袴垂が平井保昌に斬ってかかって、「両人立廻りよろしくあって、よき見得、三重、カケリにて、幕」って、やはりこれだけなんですね笑

郡司正勝氏の解説によると、「名作歌舞伎全集」に収録されているのは明治十六年四月新富座で上演の「柳桜東錦絵」の上の台本であり、狂言作者は黙阿弥がスケ、配役は平井保昌が九代目、袴垂が芝翫芳年の三枚続の錦絵に趣向を借りた所作事である、と。

で、それより前に、文久三年八月の守田座で「当稲俄姿画(わせおくてにわかのえすがた)」の名題で上演されていて、作詞が三代目治助、配役は頼光が芝翫、袴垂が市蔵、小蝶の前が粂三郎で牛の皮を着た四天姿の粂三郎の姿が描かれている〜とあって、小蝶の前なる女性は何がどうなって四天姿でしかも牛の皮被ってるのかとか全く状況理解できてませんけど笑、ここで牛の皮が出てくるんですね、なるほど。

そして平井保昌ではなくて源頼光なんですね。

ちなみに、全集付録の三津五郎の月報は「舞踊劇アラカルト」の題で、第十九巻収録の舞踊劇〜「身替りお俊」「関の扉」「戻り駕」「六歌仙」などなどなどについて、自身の思い出交えながらの芸談あれこれ語っていて相変わらずの面白さなんですけど、「市原野」については「これは踊りかしら?」の一言しか書いてなくて、それもなんだか可笑しいです。

黙阿弥の名前があったので、演劇博物館の「没後百年 河竹黙阿弥ー人と作品ー」で番付年表見てみますと、明治十六年の四月新富座は「市原野のだんまり」を含む「柳桜東錦絵」のほかには「石魂録春高麗菊」「金看板侠客本店」「茨木」「意駒異見諷」とありますね。

当時の人々はこのだんまりをどのように観たのだろうと思って、国立劇場の「六二連 俳優評判記」(中)の俳優評判記第二十編で新富座四月を見てみると、芝翫のところには「大切市原野だんまりに袴垂保輔役只訳も無役なれど何となふ立派にて請升た拵へも通常にて吉」、九代目のところでは芳年の錦絵について触れた後「拵えは画様を模して申分なし」とのことで、当時も今と変わらず、衣装や造りの仕上がりを楽しんでいたようですね。

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