「劇評」創刊号について
先日、昭和21年に発刊された「幕間」創刊号を読んだことをきっかけにして、自分も歌舞伎について思ったことのあれこれを書き残しておくために、このブログを始めようと思い立ったと書きましたが、実際にはその前にいくつか、書き残すこと伝えることの意味について考えさせられた出来事がありました。
木挽堂書店にて、その「幕間」を手にする前、店主の小林さんが編集を手掛けられてこの四月から創刊となった「劇評」についてお話を伺いました。
創刊の辞にも書かれていますが、「演劇界」が休刊となったことを受けて、それでも映像や興行データは残るけれど劇評の記録が紙媒体として残らなくなってしまうので、それを防ぎたいということ、「演劇界」が復刊するまでのつなぎとして「劇評」を続けて行こうと考えておられること、などなどのお話を伺っていて、その志に感銘を受けると同時にご苦労も偲ばれて、「いや、でも、お店を続けながら雑誌の編集も手がけるって大変すぎますよね(この本の山も片付けなきゃいけないし)」という言葉が、ついつい口をついて出てしまったんですね。
そうしたら小林さん、笑いながら「ん〜、でも、ほら、こういうものは残さないと残らないからね〜」と、サラリとおっしゃられて。
その時自分は(勝手にですけれど)何かを受け取ったような気がしたんです。
実は、木挽堂書店で「残さないと残らない」という言葉を聞いたのは、その時が二回目でした。
二、三か月ほど前でしたか、ちょうどその時、伊原青々園の「近代日本演劇史」を読んでいたもので、そこで多く引用されている評判記の類の、劇評よりもう少しミーハーな匂いのする言葉たちになんとなく惹かれておりまして、「大正、戦前、戦後あたりの、劇評家ではない市井の歌舞伎好きな人たちが好き勝手に歌舞伎の感想を言ったり綴ったりしているようなのをまとめて読める本ってないですかね?」と訊いてみたんですね。
その時、「明治なら六二連があるし、雑誌の投稿欄とかになら戦後もそういう感想とかあるけど、まとまってるものって言うと難しいんじゃないかな〜」という回答とともに、「そういうの残そうと思う人いないから残らないでしょ」と。
この二つの「残さないと残らない」の言葉と、「幕間」の創刊の辞から吹いてきた鴨川の川風と、「劇評」創刊号に込められた想いと、それらは自分にとってはとても重要な意味がある何かに感じられたのでした
さて、その「劇評」です。
錚々たる方々の劇評をまとめて読めるだけでも嬉しいのですが、同じ一つの舞台を複数の方々が、それぞれに感想を述べたり批評されたりしているところが素晴らしいと思います。
自分みたいなミーハー歌舞伎ファンからすると、自分が「あそこはカッコ良かったよなあ〜!」って思ってたシーンや役者が褒められてたりすると、「ですよね!ですよね〜!!」って嬉しくなるし、逆に「課題がある」などと書かれていると、「あ〜、そういう視点もあるのかぁ」と勉強になるし。
「劇評」の横に三月の筋書とパンフレットを並べて、あっち読んだりこっち眺めたりその時のことを思い出したりしながら、ここ数日楽しんでます。