かべすのおしゃべり

歌舞伎を観たり歌舞伎の本を読んだり歌舞伎のこと考えたりのあれこれを書き残しておきたいなと思いました。

「幕間 創刊號」を読んで

先日、五月の歌舞伎座大歌舞伎、團菊祭を一部二部三部と観た合間に、いつもどおり木挽堂書店さんに立ち寄らせていただいた折り、「幕間」という冊子を創刊号から約三年間分、三〜四十冊ほどまとめて買ってきました。

この「幕間」、八号九号くらいになると30ページを超えたページ数となり、大分雑誌らしい体裁になるのですが、創刊号あたりだと広告込みで12ページ、雑誌というよりは冊子と言った体のものです。

創刊号は昭和21年5月10日発行、売価一円五十銭と記載があります。
昭和21年の5月と言いますと、敗戦からまだ一年経っていない頃合ですね。

表紙に次のような目次の記載があります。

自分は不勉強にて、三宅周太郎氏以外の方々のお名前存じ上げなかったのですが、後で調べてみたところ、桂田重治、井上甚之助、山口廣一の三氏は演劇に関する著作や記事、論文などの著述がおありなのですね。

表紙をめくってすぐのところに、編集長である関逸雄氏の「発刊の辞にかえて」という短文が掲載されていて、木挽堂書店の店先でパラパラとページめくって内容確認していた時、その冒頭の一文

心ときめかしながら、南の芝居へと急ぐ頬に、鴨川をそよぐ五月の爽やかな風、京の街もまた平和を取り戻しました。

を目にした途端に、あの鴨川の水面を渡る涼しげな風がサッと一瞬、自分の頬にも感じられたような気がしました。

と同時に、「京の街もまた平和を取り戻しました」とだけさらりと書かれた一文の向こうに、そうなるに至るまでの戦時下での苦労や複雑な想いが滲み出ているような、そして、そう言った戦争の苦労や無念さ以上に、芝居の再開に心ときめいてしまう、関氏の高揚する気持ち、胸の昂まりが、まるで自分のもののようにも感じられました。

その夜、歌舞伎座からの帰りの地下鉄の中で、その日観た芝居のあれこれを思い返しながら満ち足りた気分になったり、木挽堂書店で買った本たちを次々引っ張り出しては拾い読みしてニヤニヤしている時に、ふと、「関逸雄氏の心のときめきは雑誌に書き記されたおかげで時も場所も隔てた自分にまで伝わり残ったけれど、今こうして自分が感じている幸せな気持ちや歌舞伎を好きな想いは、このまま自分の記憶が薄れていくまま消えてなくなってしまうんだな」と、そんなことを考えました。

それをきっかけにして、こうして歌舞伎にまつわるあれこれをブログにしようかなと考えた次第です。

もちろん、戦後関西歌舞伎界の貴重な資料ともなっている雑誌の編集長の想いならともかく、毎月劇場の片隅でただただ目をハートにして舞台を見つめているだけのおっさんの考えてることなんて、ブログなんぞで人様に見ていただかずとも、日記帳かなんかに書き留めて一人読み返すだけでもいいじゃないかとも思いました。

でも、関氏が頬に感じた鴨川の川風が自分の頬にも吹いたように、その日、五月晴れの空に歌舞伎座を見上げた時に自分が感じた清々しさや期待に胸踊るようなあの気持ちが他の誰かにも伝わったなら、それはちょっと素敵なことなんじゃないだろうか、そう思っちゃったんですよね。

#歌舞伎 #歌舞伎座 #團菊祭 #幕間